ブラームスの交響曲1&3番から学ぶ、弦楽器のぼかし方

ブラームスというと、いかにもドイツ的な作曲家でオーケストレーションもかっちりとした構成のイメージです。ところが、弦楽器の細かい分散和音による「ぼかし」のテクニックが面白く、その後の作曲家にも少なからずインスピレーションを与えていると思いますので、いくつかピックアップして記事にしてみました。

今回取り上げるのは交響曲1番と3番。いずれも展開の鮮やかさが際立っており、ブラームスのオーケストレーションの幅広さを楽しめる作品だと思います。

交響曲第1番より

まずは、最初のシンフォニーの4楽章から。第1楽章を思い起こす不安に満ちた雰囲気で幕を開ける中、真っ暗な雲間から一筋の光が照らされるように、ホルンの希望的な旋律が聞こえてくる部分です。

交響曲1番4楽章の「アルペンホルンの主題」

この旋律(Hrの実音1oct下)は「アルペンホルンの主題」と呼ばれ、クララ・シューマンへの愛を歌った旋律とされています。そう言われると、ちょっと甘酸っぱい雰囲気があるかも?

余談ですがシューマン夫妻ってこういうエピソードが多くて、なんか苦手です。シューマンの曲解説を読むと「この音型はクララへの愛が……」などの記述ばっかりで、うんざりすることが多くて……

さて話を戻して、今回ピックアップしたいのは弦楽器の動き。トレモロの分散和音を高域で上手く使うことによって、ホルンの旋律をキラキラと引き立てているのです。

ヴィオラは3~4度の音程ですから左手の指1本の動きだけでトレモロができます。Vnの音型は、音程が6度~オクターブと開いているものが多く、これは2つの弦を交互に移動して弾く必要があります。そのため、右手の弓の動きがクネクネと忙しくうねるような形になります。

弦楽器に弱音器をつけるという指示(con sordini)にも注目。これによって、Vnが高域であってもがさつきは軽減されて、耳に心地よく、木の葉が風に揺れるような、あるいはそよ風のような爽やかな響きとなります。

交響曲第3番から、2つの例

同様の例ですが、交響曲第3番のラストは爽やかというより、ちょっと湿度高めの雰囲気を持った演出となっています。こちらも弱音器付きです。

交響曲3番のラスト

これは、1楽章の冒頭主題の「ファ-ド-ラ-ソ」の動機を振り返る形となっています。この主題、1楽章では長調で神々しく始まったかと思いきや、すぐに同主短調に移るという青天の霹靂のような演出で、聴衆の耳に強いインパクトを与えます。その主題が最後になって帰ってくるのですが、冒頭のような堂々とした雰囲気は全くなく、眠るように静かに消え去ります。

次に、分散和音の特にオシャレな使い方として、同じ交響曲3番から、3楽章の哀愁漂う3拍子の例を取り上げないわけにはいきません。

交響曲3番の3楽章

チェロが表情豊かに(espress.)メロディーを歌う中(ブラームスの旋律の中でも、特に人気のあるものだと思います)、その上をVnの3連符の音型がピアニシモで控えめに彩ります。この分散和音は2オクターブを超える広さの音域を持ち、ほんのりとした躍動感を与えます。

背景でさりげなく鳴っているフルートにも注目。一般的にこの音域は低すぎてフルートには適していません。どちらかというとクラリネットの方が音色は充実するはずです。でも晩秋の風のような、乾いた寂しさを思い起こさせる表現としては、ちょっとかすれたフルートの低音というチョイスが最適解だと思います。

後の時代の作品では、「牧神の午後への前奏曲」や「ボレロ」の冒頭部のように、フルートの苦手な低音域を逆手に取った楽曲がいくつもあります。そういった用例の先駆けと言ってしまったら、ちょっと大げさでしょうか。でも、ブラームスはこうやって、音像を「ぼかす」テクニックもさりげなく活用しています。

そして時代を経て……

このような弦楽器のトレモロの用い方は、20世紀前後で非常によく使われるようになりました。例えば、下はラヴェルの「マ・メール・ロワ」(管弦楽版)の第3曲「パゴダの女王レドロネット」の譜例です。

「マ・メール・ロワ」での弦楽器のトレモロ

弦楽パートはVn~Vcが2つに分割され、一方はトレモロの分散和音、一方はピチカートでリズムを支えます。ハープとチェレスタによる可愛らしい雰囲気の効果もあり、霧だったおとぎ話の世界に誘われます。

和声的な観点では、「ファ#ソ#ラ#ド#レ#」の五音音階が使われています。1889年のパリ万博で、ドビュッシーはジャワのガムラン音楽に大きな感銘を受けたと言われていますが、やはり西洋にもたらされたオリエンタルな響きの影響力はとても大きかったのだと思います。

メロディーはピッコロですが、ラヴェルは譜例のようにピッコロを低めの音域で使うのを好んでいたようです。先ほどの話と共通することなのですが、これはお祭りの横笛のような、ちょっとかすれた素朴な雰囲気を狙ってのことだと思います。

まとめとおまけ

今回の記事では、ブラームスの後にラヴェルを取り上げました。この両者、音楽史の観点ではつながりが弱いような気がしますが、譜面を見ると色々な共通項が浮かび上がり、音楽というものは色々なところから影響を受けるのだなと思った次第です。

ところで、以下は全く関係のない話ですが、子供の頃、ブラームスのCDで若い頃の肖像画がジャケットになっているものを手に取ったとき、「誰だよこれ」と、その青年がまさかブラームスだとは考えもしなかった記憶があります。

ブラームスの肖像画

私にとってブラームスは、ひげもじゃのおじいちゃんのイメージだったのです(みんなそうでしょ?)。他の作曲家、例えばベートーヴェンなら若くて髪が短くても顔立ちでわかりますが、ブラームスはこうして並べてみても、とても同一人物とは思えません。