聴くアルコール!マーラー「大地の歌」第5楽章「春に酔える者」

唐突ですが、皆様お酒は好きですか?私は大好きです。もしお酒が飲めなくなることと音楽ができなくなること、どちらか選ばざるを得なくなったとしたら、私はためらいなく音楽の方を投げ出してしまう自信があります。

ところでストレスの多い現代社会、かりそめではありますが癒やしを得ようということで、サントリー「ストロングゼロ」のような度数強めの缶チューハイが人気です。ネット上ではこれにまつわる名文も多数生まれ、「ストロングゼロ文学」というジャンルが確立された模様。個人的に一番衝撃を受けたのが、「読むアルコール」とも評されるこんな投稿でした。

ストロングゼロの氷結のストロングゼロのウォッカ入ってるんだけど、この氷結のチューハイ毎日ではないけどかなりのペースで飲むと2本 今も例えば月曜日とかだと氷結でストロングゼロ飲んでって感じで飲んでるから人気になるんだと思う 楽でいろんな味だしね

確かに読んでいてクラクラする文章ですが、出だしの「ストロングゼロの氷結のストロングゼロ」という怒濤のたたみかけがすごいですね!まるでバッハのフーガの(平均律第1巻ハ長調など)ストレッタで、主題が次から次へと押し寄せてくるような高揚感を思い起こさせます(本当?)

……ところで「読むアルコール」があるなら、「聴くアルコール」もあるはず。クラブミュージック系なら、陶酔感を味わう音楽も色々あるでしょうが、お行儀よく鑑賞するイメージのクラシック音楽で、まさに「聴くアルコール」ともいえる曲を発見しました。ようやく本題、マーラー「大地の歌」より第5楽章「春に酔える者」のご紹介です。

東洋に思いをはせて……

「大地の歌」は声楽をともなった6楽章の交響曲で、歌詞は唐詩が土台となっています。旋律の随所で五音音階が扱われ、東洋的な趣向を全面に押し出した作品です。

各楽章の中では、圧倒的に終楽章「告別」について語られる機会が多いのです(唐詩自体も有名なので)が、今回の話題はその手前の短い5楽章めです。

歌詞は李白の五言古詩「春日酔起言志」(春日酔起して志を言う)を大体その通りに採用したものです。国語の授業でご存じの方も多いと思いますが、李白はものすごい酒豪ということで、その死についても「酔っ払って、水面に映る月を杯ですくい取ろうとして、船から落ちて亡くなった」という言い伝えが残っているほどの人物です。

「春日酔起言志」も言ってしまえば飲んだくれの詩で、「この世なんて夢のようなもの。辛いのはイヤ、だから飲んで飲みまくれ!」というストロングゼロ的世界観満載の内容な訳です。

さて、この詩につけたマーラーの和声も、酔っ払ってふらふら状態の際どい色づけとなります。調性はイ長調、いかにも春爛漫の華やかな幕開けとなりますが、独唱が入るころにはいつの間にか半音上がって変ロ長調に(以下、ピアノ伴奏譜と共にご紹介します)。

大地の歌その1

半音上への移調は(ナポリIIの和音と同一のため)特に珍しくありません。でもこの曲の場合、まるで酔っ払いのステップのようなヘンテコな半音進行を経て移調するのです。移調が終わったところですぐ主調に戻り(イ長調)、ちゃんと終止するかと思ったら偽終止でヘ長調に行ってしまいます。

マーラーは、このように準固有和音のVI(同主短調のVI)への偽終止を好んで使っています。9番シンフォニーの終楽章が特に顕著でしょうか。

大地の歌その2

ヘ長調の部分はトニックのF音が保続されて安定しているかと思いきや、内声は半音で行ったり来たりのちょっと地に足がつかない感じ。やがて強進行が聞こえてシメに向かうのですが、変ロで終止すると見せかけて半音ずらし、主調のイ長調に戻ります。

ドイツ系のクラシック音楽はロマン派末期に向かうと、どんどん半音階進行が強まる傾向にあると思います。そういう音楽は厚ぼったくて重たい響きになりがちですが、この曲では半音進行が酔っ払いの「夢心地の世界」をうまく表現していて、なんとも巧みです。

曲全体をA-B-A構成と考えると、この時点でA部分の主要な動機が出そろいました。Bの中間部に入ると、わいわい楽しそうだった酔っ払いが今にも眠りに落ちそうな、まどろみの雰囲気になります。ふんわり穏やかな曲調ではありますが、ソナタの展開部のようにA部分の様々な動機が形を変えて登場し、なかなか凝っています。

調性については、イ長調から、ヘ長調、変ニ長調、ハ長調と少しずつ変化していき、走馬灯的に風景が変わっていく印象です。この転調についても、先ほどの準固有和音VIが使われており(AからF、FからDes)、まさにマーラー的と言えます。

その後冒頭部分が再び現れ、華やかにA部分に戻っていきます。こちらはコンパクトに再現し、もう一度冒頭主題を出して(ただしオーケストレーションは少し厚くして)曲は終了。独唱の最後も、9度上行(Gis – A)というマーラーらしい跳躍で締めくくりです。

以上、酔っ払いのハイテンションとまどろみを色彩鮮やかに描く様子はまさに「聴くアルコール」にふさわしいと思うのですがどうでしょうか。曲全体の規模からするとほんの短い楽章ですが、インパクトは絶大です。

オーケストレーションはマーラーの楽曲の中では際だって華やかで、フラジオレットや低弦の高域を多用するなど、ドイツ系の管弦楽書法らしくないところも注目ポイントです。

マーラーは酒豪……ではなかった!

ところで、この楽章を最初に聴いたときからずっと「こういう表現は酒好きじゃなきゃできない、マーラーも相当酒豪のはず!」とにらんでおり、このたびWikipediaで調べてみました。残念ながら(?)飲酒度については「たしなむ程度」という感じのようです。ただ、実家が酒造業なんですね。

個人的に、マーラーの曲からお酒の香りを強く感じるのは「復活」交響曲の第3楽章です。悪酔いして寝たときに見る居心地の悪い夢(ディズニー「ダンボ」のピンクの象の夢みたいな感じ)にそっくりだと思うのですが……酒飲みの皆さんいかがでしょうか?

なおこの曲は、現代音楽の範疇となりますが、ベリオ「シンフォニア」3楽章のネタ元となっていて、マーラーのこのスケルツォをベースに、「海」やら「春の祭典」やら名曲のあれこれをコラージュした、まさに「カオス」な仕上がりになっています。もはやこうなってしまうと、悪酔いどころか翌日夕方まで残りそうな二日酔いのレベルの混沌具合(もちろん、ほめ言葉です)となる20世紀の注目作品ですので、一聴の価値ありです。